最近、気がついたことがある。私が「いいな」と思うひとたちは、同じことを言っている!ということである。
みんな、「経験したこと、見たものがどこかでつながっていくよ」と言っているのだ。これ、気づいた時けっこう感動したよ。
■村上春樹さん
ーみんなが知ってる小説家のおじさん。(とかいったら怒られるかな)
彼の「使い道のない風景」というエッセイがとても好きで、よく読み返している。旅行をしたり、生活をすることで、自分の引き出しにしまわれていく「風景」の話だ。
「おすすめだから読んでみて」と知人に貸したところ、返ってこないまま会わなくなってしまった。まあいいか、と思ったものの、この本だけはやっぱり忘れられなくて、買い戻した。
小説を書くときに、ある特定の風景から物語を書こうとするとむずかしいけれど、ふと浮かんだ風景からできることがある、と彼は言う。
そこから何かの物語が始まるかもしれないと僕は思う。アリクイの夫婦の姿から、あるいはギリシャの若い水兵の目から。でも、何も始まらない。そこにあるのはただの風景の断片なのだ。それはどこにも結びついていない。それは何も語りかけない。
それじたいには使いみちはないかもしれない。でもその風景は別の何かの風景にーおそらく我々の精神の奥底にじっと潜んでいる原初的な風景にー結びついているのだ。
■桜林 直子さん
ークッキー屋「SAC about cookies」経営。「ほぼ日」で有名なあーちんのお母さん。
サクちゃん(と、おこがましくも勝手に呼んでいる)のnoteの記事で、なんども読んでいる大好きな記事がある。仕事をちまちまとひとりでやって、完成させたとき、「ああ、このためにわたしはこの仕事をやったのだ」と思える瞬間が訪れたというお話。
それを「伏線回収だ!」と楽しんでいる姿勢がとても好きで、こちらまで自動的に前向きになってしまう。
「あのときのあの出来事が、ここにきてこうなるのか!」
「あのひとは、このためにわたしの前にあらわれたのか!」
と、あとから伏線を一気に回収するような瞬間がだいすきで、それを「伊坂幸太郎メソッド」と呼び、人生におけるとても大きなお楽しみ要素だと思っている。
仕事でも、何年かたってから、全くジャンルのちがう場面で、思わぬ経験が役に立つことがある。
■いしざわのにいさん
ー大学の先輩。私に、ブログを書こう!と言ってくれた人。出会った頃から面白い人だとは思っていたけど、最近はそれが加速していて、おもしろすぎる。
「仕事つまらないな」と思っていたときに、にいさんに会う機会があり、「最近ねぇ、新聞がやばい!」という話を聞いた。新聞は、知識を増やして結論を出すためではなく、さらっと読んでおくのがいい。同時に本も読むといい。
そういえば、大学生の頃にも、にいさんに「ロシア文学を読んだらいいよ!」とオススメされたんだった。今頃になって、やっと意味がわかってきた気がします。
Aという知識を得る
↓
モヤモヤする。理由を考える。
↓
寝かす(忘れて実生活に戻る)
↓
ある瞬間、「ああ、そういうことか」と、自分なりに解釈する。
↓
人にも話して、意見交換してみる。(バージョンアップする)
↓
みたいに、どんどん自分の意見をつくっていく(「地図」を書き換えていく)本と新聞の関係で言えば、本で地図の基礎をつくり、新聞で日々細かい更新をかけていくようなイメージですね。
経験して、吸収して、解釈して、引き出しにしまっておく。そして、つながる瞬間を待つ。もしかしたら、目に見える形ではつながらないかもしれない。でも、どこかできっと、私に影響する。なるべく色んなものを見て、感じて、切り取っておこうと思う。
すごくわかる、「つながる」について!
私が経験してきているのは、この人が好きだな(有名人でも身近な人でも)と思っていると、他の好きな人とすでにつながっていたり、あー好きだなーとめちゃくちゃ思っている次の瞬間に、他の好きな人とつながるところをリアルタイムで目の当たりにしたりする。
これはよくあることだし、うれしくなるし、これからもきっとあること。
エリちゃんのブログがいつもすごく好きで、読んでいると自分も書きたくなってくるけど、こんな風にはきっと書けないな。
とってもうれしいです、ありがとう。
それもあるよね、好きなひとがつながるパターン!私もオタク始めてからよくあるよ。
この人が楽曲提供!とかね。
私はえりちゃんの文章が大好きだよ。そんなふうに書けたらいいなっていつも思う。
また書いてね。