間違えなさいという教育

今は学生なので、平日は学校に行っている。授業を受けていると、何から何まで日本とは違うなと感じる。学校の授業自体もそうだけど、私の受けてきた教育と、クラスメイトが受けてきた教育も全く異なるということに気づく。

間違えなさい

私はずっと、授業中に間違えることが怖かった。間違ったことを言って、授業の流れを止めてしまうことや、教室がしーんとして、変に目立ってしまうあの空気が怖かった。

でも今は、私たちが間違えると先生がとても喜ぶ。「間違いから新しく学べるでしょ、正解したらそこからは何も学べないから」と彼女はいつも言う。それを聞いて、やっと堂々と間違えられるようになった。

クラスメイトの存在も大きい。誰かが発言してそれが間違いだったとき、誰も黙ったりしない。正しい答えはこうだよ、とみんなでフォローしあう。それで、答えた本人も納得して、次に進むのだ。間違えることは恥ずかしいことでも、悪いことでもなんでもない。みんなで間違えながら学んでいて、私は授業が大好きだ。

答えはひとつじゃない

日本の問題には答えがひとつしかないけど、海外の問題の作り方はそうではない、と何かで読んだことがある。(何かのCMでもあったよね?)ひとつの問いに対して、答えがたくさんあるのだ。

「先生、これは正解?」「こういうふうにも言える?」とどんどん質問していくクラスメイトには、いつも圧倒される。さあ、次の問題に進みましょうという時でも、みんな納得がいくまで質問する。回答がクリエイティブなのも、とてもうらやましい。私もそんなふうに、柔軟な思考を持ちたい。

あなたの意見は何ですか

こちらで何か発言をすると、必ずついてくる質問、「Why?」どうしてそのように考えるのか、どうしてそれが正解だと思うのか。全ての回答にその理由が求められる。最初は、ほんとうにこれが辛くて、「Because〜」と答え始めることさえうまくできなかった。最近は少しだけ慣れてきた。何かを言ったら、聞かれる前に理由も付け加える。

 

ついでに、日本語で「私はこうしたい」と主張する時にもその理由を付け加えるようにしたら、すんなり話を理解してもらえるようになった。英語を勉強すると、なんだか他のこともたくさん学べる気がする。ラッキー。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です